無駄が生かされる時

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私にとって、ごくごく日常です。

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カバン持って、現場・ミーティング・打合せ・取材・・・に、出かけること。

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一年ほど前に、少し大きめのカバンを買って、一泊旅行に備えたんですが、

一泊終わったら、どうにもこうにも、そのバッグは大きすぎで、あ~失敗した~、といつも思っていたものでした。

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「ジョイさん、どっか行くの?」なんて聞かれると、あ~このバッグ、おっき過ぎておかしいんだろうなぁ・・・と。

いくら大は小をかねると言ったって、ねぇ・・・

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?ところが、ひょんなことから、日常のなかで、たくさんものを持ち歩かなければならなくなり、急に、このバッグさまが役に立つようになたのです。

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?こんなもの買うんじゃなかったとほっといたものが、今は、“バッグさま” になってます(笑)

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この他にも、カメラ、携帯、歯磨きセット、傘、カーディガン、お菓子たち(笑・・・でもこれ必需品!エネルーギー切れを防ぎます)が

はいっており、それでも充分、余裕があるのです。
そして、これをもっていれば、全部の必要が揃うというわけです。

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自分にとって、無駄だ、損した、と思うようなことがあっても、それらが生きるときが来るのだなぁ、と思わされました。

その経験を、持ったことで、いえ、持っていることで、すでに、自分自身が大きな器になっている。

その無駄を知っていることが、大きな経験となっている。

無駄だったと思うことを通して、学び、自分が変わり、ゆとりが生まれ、これから来る小さな面倒くさいことまでも受け入れる準備が出来ているようになる。

もうこれをもっていれば、何が来ても大丈夫!って。



すべてのことが益に変えられて行く
のですね。

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人生大変なことも多いけど、何一つ無駄にならないなら、素晴らしいんじゃないかな、って!

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