5月以来、何度もこのブログに登場する人ですが、この写真のままの愉快な人です。私も、こうやって驚かされた一人です!
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5月から彼と彼の会社のプロモーションを頼まれてやっています。
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とてもポジティヴ。決して否定語を使わない。必ず良いところを褒める。笑いが絶えない。情熱的。すぐ人に物をあげちゃう。(クッキー売るよりサンプルあげるほうが多いかも!?) 熱心。謙遜。人思い。
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彼の理念は” Work Hard, Be Positive, Don’t Look Back “
?一生懸命やって(働いて)、前向きで、決して振り向かない! ・・・そのままを生きてる人。
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幼少時代は家庭に恵まれずいつも不安定で問題だらけ。
でも生来備わった賜物と精神で、世の中を楽観的に見ることが出来ていた。
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最愛のデラおばさんのるニューヨークへ引き取られていったのは、ウォーリー、12歳になったとき。
質素な環境は、人生の基礎を作る子供時代にとって、たくさんの必要なクオリティーを与えられたと。
「何でも出来る!」って。” a can-do ” 精神。
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エアフォースが終わってからの最初の仕事は、ニューヨークの貯蔵庫での低賃金の仕事。
自分にはもっと価値があるといつも諦めなかった。
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その後、エンターテイメント業界に入る。でも最初は郵便室の受付からの下積み。でも能力が認められ一年後に良い仕事に就いた。
ウイリアム・モーリス・タレント・エージェンシーで、最初のアフリカン・アメリカンのエージェントになる。
その当時をとどろかせたトップスターのブッキングをするようになった。ザ・スプリームズ、サイモン&ガーファンクル、マーヴィン・ゲイ、などなど・・・わぉ!
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そんな中で、昔、デラおばさんが焼いてくれたチョコレート・チップ・クッキーを趣味で作るようになり、仕事場の人たちに配っていたところ、あんまりおいしくて、みなからお店を出すように勧められる。
それで出来たのが、1975年、あの、「フェイマス・エイモス」!
一号店は、ハリウッドのサンセット・ブルバードで、スタンドの店だった。それが後に全米に広がって行った。
日本では、80年前半に、ソニープラザで売られていたのをご存知の方はいるかも。
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ポール・ニューマンなどの“フード・パーソナリティーズ”より以前から、彼は同じアイディアを持ち、「エンターテーメント・パーソナリティーとしてクッキーを売ることが出来る」と、グルメ・チョコレート・チップ・クッキーを売り出す。
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そして、この起業家が、国民栄誉の賞を受け、それは、クッキーだけでなく、溢れるばかりの明るい性格と社交性によるものだった。
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1985年にこの会社は、ケロッグ社のものになり、その間、アンクル・ウォーリー・マフィン会社を設立。
でも、どうしても、あの! クッキーを作りたい! と、2005年に、ハワイはカイルアに、2008年ワイキキに、新ブランド「チップ・アンド・クッキー」を立ち上げる。
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1979年からは、大人にも子供にも、読み書きが浸透する運動を起こしたり、絵本の読み聞かせを提唱する Read It Loud! 運動をするなど、様々な社会貢献をして、数え切れない程の賞を受けている。彼のシャツとパナマハットは、スミソニアン博物館に展示されているほど。こういう運動のために、彼の築いた名前が使われて、急速に進展していった。
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・・・彼は絶対後ろを振り向かない人だから、一般の人は大金持ちだと思っている人が多いけど(事実セレブに名前を連ねてます)、実は、失敗があり、ケロッグに渡った時点で大損害を受けることになってしまったのです。
でも、そんなことは一言も言わず、新ブランドに命を懸けて働き、前向きで、人を喜ばせ、無料で子供たちにショーをし、本当に学ぶところ、大です。
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私たちは、今日、KZOOのゲストとして、30分の生放送番組に出させていただき、そこでも、絵本を読んでくれました。読むというより、劇を見ているかのような感じの、臨場感ある話し方で、何度も同じ話を聞いている通訳の私も、また感動しました。
次に移動した先の幼稚園の入り口では、すでにラジオを聞いていてくださった方が待ち受けていて下さって、私たちはびっくりしました。
お隣のウェでイングチャペルで働く人たちでした。「次のリーディングショーはいつですか~?」って。
そして、夏以降にはレギュラー番組をいただけるとのご連絡が夕方あって、
ウォーリーの人柄と努力が大きな実を再び実らせることができるのだなぁ、と期待と感激で胸がいっぱいになりました。